平成27年度 進路講演会

平成27年6月3日、6・7限の午後2時25分から午後4時15分で、本校卒業生による進路講演会が開催されました。

趣旨

キャリア教育の一環として、第1・2学年生徒全員が、安古市高等学校の卒業生や保護者、学校関係者等の社会の第一線で活躍する人生の先輩方から、高校・大学生時代の生活や仕事、また社会人にとって必要な資格等について講演を聞くことで、適切な職業感の涵養を図り、将来を見据えた進路設計の構築に資する。

氏名道田 泰之
職業起業家(社長)
(25歳で起業し、今年で16年目に突入!)
勤務先株式会社ドリームデッサン

 はじめまして。株式会社ドリームデッサン 代表取締役 道田泰之と申します。今年もみなさんにお話をさせていただける機会をいただき、大変嬉しく思っています。今回も私の講演は、起業家(社長)という職業について、仕事の内容や、普段の生活などをご紹介すると共に、「社長」という仕事について、みなさんの疑問や質問にお答えしながら進めていければと思っています。

 職業を選択する上での参考にしてもらえればと思ってお話はさせていただきますが、私自身も、自分が高校生の時には起業家になろうと思っていたわけではないので、なかなか今の時点で、起業家になりたい方は少ないかもしれません。社長という仕事の説明はもちろんですが、それ以外にも変化の激しいこの現代社会を生き抜いていく上で、進路を選択する上で、大切なことや、今の時期から身につけておいたら良いことなどを、本音トークで、みなさんにお伝えできればと思っています。

  • 社長の仕事って何??
  • 社長って儲かるのか??
  • 社長は大変か??
  • 社長って、どうやったらなれる??

などなど皆さんから聞いてみたい素朴な疑問になんでもお答えしていければと思いますので、もしも今、自分の勉強や、進路、いろいろなことで悩みや疑問があれば、何でも質問していただければと思います。

 私は、4年生大学卒業後、社会にでて、1年だけ税理士事務所に勤めた後、すぐに会社を辞めて起業しました。年は25歳になったばかりのころで、まだまだ転職は、今の時代のように一般的ではなかった時代でした。当然、当時の上司も、親も大反対。周りの人は誰一人も賛成しないという環境の中での起業でした。まあ、もっとも、もともと親の言うことなど素直に聞くようなタイプではありませんでしたが・・・

 自分でも無鉄砲なことをしたものだと、今になって思いますが、その時はなんとかなるようが気がしていました。すでにあの日から、今年で16年が過ぎようとしています。

 起業家というのは、自分で事業を見つけて仕事にしますので、職業という観点からいけば少し特殊なタイプに属してしまうのかもしれません。

ただ、私自身、起業家としてここまで生きてきて感じること、学んだことがたくさんありました。

 今の激動の時代を生き抜くために大切なこと、今のうちから学んでおけば良いことなどをみなさんからの質問も交えながら、時間一杯、本音でお話させていただければと思っています。

 私も、みなさんと同じ安古市高校にて高校生活を3年間過ごしましたが、受験勉強や大学入学にうまく意味を見いだせなかった私は、勉強にもまったく身が入らず、高校の中では完全に落ちこぼれ状態でした。

クラブやバンド活動など楽しいことたくさんありましたが、自分としては、うまく高校生活になじめていなかったように感じていて、日々、悩みを抱えていたように思います。

 社会に出て、会社を設立し、多くの方と出会ったり、高校時代の友人たちのその後の進路をみていくなかで、勉強以外にも社会にでて非常に役に立つ能力や知識がたくさんあることに気が付きました。
あくまで経験とともに気づいてきたことなので、すべてみなさんにお伝えできるかどうかわかりませんが、私と同じような悩みを抱えているみなさんや、これから同じような状況に遭遇してしまった場合に、少しでもヒントになればと思い、お話させていただければと思います。

 内容的には高校生なら多くの人が直面しそうなテーマについて、今、みなさんより少し?先の人生を歩んでいるものとして、一つでも参考になりそうなことをお話しさせていただければと思います。

 当日、皆様とお会いできるのを楽しみにしています。感謝をこめて。

氏名門出 哲典(もんで てつのり)
職業会社員(コンピュータシステム販売)
勤務先富士通マーケティング(富士通より通算在職30年)

 皆さん、富士通という会社名から何を連想しますか。最近では、パソコンや携帯電話のコマーシャルをテレビでやってますので多少は一般消費者にも馴染みがあると思いますが、私が会社に入ったころは富士通と聞いてどこかの運送会社と勘違いする人もいました。

 実は、富士通は国産で初めてのコンピューターを製造した会社であり、今年で創立80周年を迎えます。現代社会では、コンピューターは無くてはならない存在になっています。皆さんの生活の中にも沢山のシーンでコンピューターは使われています。

私が勤務する富士通マーケティングは、民間企業に対してコンピューターシステムを販売する仕事を主な業務としています。

  実は、私は高校時代、大学時代を通じて自分のやりたい仕事を全くイメージできていませんでした。特に大学時代はほとんど授業に出ず、部活動に専念し4年生の時には卒業も危ないくらい単位が不足していました。卒業に必要な単位も4年生の追試験でやっと合格点をもらい留年することなく卒業できたくらいです。

 そのため就職活動もほとんど行わないままに、当時簡単に入れた会社に一旦入社し2年半勤めた後、富士通に転職し現在に至ります。

 社会人になってからは、約30年間営業の仕事をして来ましたので数多くの人と知り合う機会を得ました。特に現在は、企業の経営者の方々との交流も公私にわたって増え、私自身の財産でもあります。私の仕事は、組織で動く事が大切です。従って、社内の人とのコミュニケーションも非常に重要です。皆さんも人との繋がりは、間違いなく自分自身の財産になりますので、良い付き合いをしてその財産を増やしていただきたいと思います。

 本日は、意外に知られてないコンピューターが活用されている場面を紹介するとともに、「こうしとけば良かった!」という私自身の反省を踏まえて皆さんにアドバイスができればと思います。

氏名秦 誠―郎(はた せいいちろう)
職業弁護士(7年)
勤務先国政法律事務所

裁判官,検察官,弁護士は,法曹(「ほうそう」と読みます。)三者と呼ばれ,三権分立の司法に関与する法律の専門家です(検察官は,犯罪を捜査し,処罰を求める公務員です。警察官も犯罪を捜査しますが,警察官ではありません。)。法曹三者のうち,裁判官と検察官は公務員ですが,弁護士は民間人です。

 弁護士は,基本的人権をまもり,社会正義を実現することが使命とされています(弁護士法1条)。弁護士の主な仕事は,民事(お金を払って欲しいなどの争い),家事(離婚などの争い),刑事(犯罪の有無や刑罰に関する争い)などの交渉や裁判ですが,その他にも,高齢者の後見人になって,生活の手助けをしたり,会社や学校の役員になって,業務を監督したり,県や市の委員になって,県政や市政に関与するなど,活躍の場は広いです。また,税理士や弁理士などの業務を,主な仕事としている弁護士もいます。

 法曹は,人の人生に大きな影響を与える仕事ですから,高い倫理観・道徳観が求められます。虚偽の事実の主張や,証拠の偽造など,真実をねじ曲げるようなことは,絶対にあってはなりません。

 弁護士は,相手の勘違いを見破って,事件を妥当な解決に導くことができたり,事件解決後に,依頼者から笑顔でお礼を言われたりしたときに,やり甲斐を感じます。その反面,妥当と思う解決にならなかった場合には,くやしい思いをすることもあります。また,弁護士は,原則として自営業者ですから,時間の使い方や仕事の進め方を,自分の責任の範囲で自由に決めることができます。

 ただし,現在,司法制度改革が進んでいますので,将来について不透明な点があり,不安に思っている弁護士は多いです。

 私は,学生時代は物理学を専攻し,物理学者を志していました。しかし,大学院(修士課程)を卒業したときに,大学への就職が非常に厳しいこと,人間相手の仕事をしたくなったことなどの理由で,弁護士になることを決意し,学習塾の講師などをしながら,法律を勉強して,弁護士になりました(当時は,大学等で法律を勉強していなくても,国家試験に受かれば,法曹になることができました。)。

 裁判官,検察官,弁護士は,原則として,大学卒業後,2年又は3年間,法科大学院で法律を勉強し,司法試験という国家試験に合格後,司法修習という1年間の実務研修を経て,それぞれの仕事に就くことになります。ただし,その仕事も絶対的に固定されたものではなく,裁判官や検察官を退職して,弁護士になる人は多いですし,弁護士が希望を出して,裁判官などの公務員に採用されることもよくあります。

 なお,よくある誤解ですが,弁護士(法曹)になるために必要なことは,法律の考え方を身に付け,法律を道具として使うことができる能力ですので,六法全書(法律の条文集)を暗記しているわけではありません(もちろん,よく使う条文は,自然に覚えています)。

氏名三上 かおり(みかみ かおり)
職業コミュニケーションコンサルタント
勤務先虹の森

 私たちは、人とかかわって生きています。学校や、家庭などでの様々な人間関係の中で、私たちは幸せも感じるし、悩みも持ちます。「良い」人間関係の中では、心地よさを味わうでしょうし、意欲も湧くでしょう。逆に居心地の悪い人間関係の中では、ストレスも溜まり、自分の力を発揮することも難しくなるのではないでしょうか?

  充実した人生のために、「良き人間関係」はとても重要です。では、それはどうやったら手に入るのでしょうか。お金で買えるでしょうか?人から借りることができるでしょうか?

 答えは「NO」です。「良き人間関係」を手に入れるには、自分自身の「人間関係力UP」が不可欠です。良き人間関係を作り上げていく方法を学び、実践力を磨いていくこと、それが「良き人間関係」を自分の周りに作っていくことにつながります。

 皆さんが、今後の人生をより充実したものにしていかれるよう願いを込めて、良き人間関係を築くコミュニケーションについて、講義や演習、体験談を提供致します。

氏名小室 一彦(おむろ かずひこ)
職業会社員(金融ITソリューション営業担当)
勤務先(株)野村総合研究所

 現在、私の担当している仕事は、金融業界で使われている情報システムの営業・販売活動です。営業・販売と言っても、個人にではなく、証券会社や銀行といった企業(会社)に対して活動しています。私の部署では、そのような企業を「お客様」と呼んでいたりもします。

 今年からは、短期的に、そのお客様のビル内で、お客様の立場で、仕事をしています。お客様の立場で、私の会社の担当者に向き合って仕事をすることが、現在の業務です。
さて、私の高校時代の紹介に入りますと、

①当時の好きな教科は、英語と数学(2年生の途中から)でした。

②部活は硬式テニス部で、1年生の1学期には、毎日、安佐中学校まで走って往復、球拾いを繰り返していました。当時は大変だったのですが、今では、“趣味として”テニスを続けています。

 大学進学のきっかけとなったのは、あるニュース記事でした。それは「牛肉・オレンジの貿易自由化」というニュースです。自国の産業を守る・育成するために、特定の食品等を海外より輸入する場合に、関税(税金)をかけているのですが、当時、為替レートが米ドルに対して、円高になっていたという背景もあり、関税撤廃の動きがありました。「なぜ同じ食品が高く買えたり、安く買えたりするのだろう?」と疑問を持ち、漠然とでしたが、経済に興味を持ち始めました。

 大学では、経済学部に入学しました。授業(講義)は、必修の科目以外は選択できます。その頃から「自分は何になりたいのか」、漠然と考えるようになりました。大学は広島市内でしたが、学生は日本各地から集まっており、交友範囲も広がり、よく情報交換をしていました。3年生(3回生)になると各自で専攻を決め、卒業論文の指導を受けるのですが、高校時代に興味を抱いた国際経済学に志望を出していました。

 今の会社で苦労したことは、金融関係の情報システムの設計・プログラミングでした。私の会社では、就職して最初の1年間は、インストラクターと言う入社2、3年目の上司が、一緒に仕事の進め方を教えて下さいましたので、かなりの時間を割いて教えて頂きました。
約10年前には、得意科目の英語を生かして、海外へ出張し、現地の方と会話して業務を進めたことが、良い思い出となっています。社会人になってからも思うのは、語学の勉強は必要だということです。

氏名久光 遼平(ひさみつ りょうへい)
職業マツダ株式会社 技術系エンジニア
勤務先マツダ株式会社 技術研究所

 みなさんは今、自分の進路についてどんなイメージを持っているでしょうか?「将来はこんな職業に就きたい!」という目標がある人、「数学が得意だから理系にした(orする予定)けど、どんな仕事があるのかわからない」と少し不安な人、「将来のことなんてわからないから考えてない」という楽観的な人、さまざまだと思います。本日の講演を通じて、少しでも「エンジニアって楽しそう、将来なってみたいな」と思っていただければ嬉しいです。

 みなさんはまだ運転免許を持たれていないためイメージがつきにくいかもしれませんが、車の技術は年々進化している一方で課題もまだまだ山積みです。たとえば環境問題です。実は、車に載っているエンジンはせっかくガソリンを燃やして得たエネルギーの約7割を捨ててしまっており、その分余計にCO2を排出しています。他にも、交通事故ゼロを実現するための安全技術の開発等、たくさんの課題があります。エンジニアの仕事は、「実現したい理想を描き、上に挙げたような課題を物理・数学などの知識を用いて解決し、商品として形にする」ことです。これを行っていくうえで大事な考え方について講演中にお話ししたいと思います。

 さて、私は高校時代サッカー部に所属しており、3年生の6月までは部活動に励みました。引退するまでは受験を意識した勉強はしておらず、定期試験前に慌ててテスト対策をするくらいでした。引退直後に受けた模擬試験で自分が志望している大学との実力差を痛感し、以降は1か月単位の目標を設定し効率的に学習することを心がけていた記憶があります。

 大学生活においては、1・2年生の時は勉強よりもサークル活動や塾講師のアルバイトに力を入れていました。これらの経験は良い社会勉強になったと思うと同時に、もう少し勉強しておけばよかったとも後悔しています。皆さんには大学入学直後から一生懸命勉強してほしいです。大学3年生からは講義が専門性を増して面白くなっていき、4年生の時は研究生活が楽しくて土日も関係なくほぼ毎日大学の研究室に通っていました。

 就職してから、学生時代と大きく違いを感じたのは「社会人は100点が当たり前」という点です。マツダでは設計図面を描くことが頻繁にあるのですが、その中で記載ミスや検討漏れ等があると、後工程やサプライヤに迷惑をかけてしまい、会社にも大きな損失を与えてしまいます(当然、上司からも怒られます)。自分がミスをしやすいと感じている人は、それを防止するための対策を今のうちから考えて習慣にしておくと良いかもしれません。

 最後にアドバイスを。今、みなさんは自宅のパソコンやスマートフォンで世界中の情報にいつでもアクセスできる状況にある人が多いと思います。学校の勉強はもちろん大切ですが、自分が興味を持っている分野についての情報を集め、自分なりに解釈して考える習慣をつけておくと良いと思います。

氏名和田 良香(わだ よしか)
職業看護師(認定看護管理者,医学部臨床教授,副看護部長,運営支援部クラークGL)
勤務先広島大学病院

看護師とは

人の命や健康を守ることや、誕生から死を看取ることまで社会貢献ができる専門職です。
 病人やけが人だけでなく妊婦、回復した人、健康な人も含めた「人」を対象に病気の予防、健康管理のための情報やサービスを提供する職業です。最近では、看護の社会的役割の重要性から、専門看護師・認定看護師・認定看護管理者などの、より専門的な活動も増えています。

看護師について

 国家資格とは国が法律で定め,国や地方自治体などが認定する資格のことを言います。
 看護師も国家資格であり、医師以外の人が看護をしてはいけないので独占業務になります。
 「保健師助産師看護師法」に基づき、厚生労働大臣が免許を交付します。
看護師になるための順序

看護師になるための順序

 高校卒業後,看護大学を4年または看護師養成所、看護専門学校を3年ないし4年間勉強し基礎知識を学び,国家試験を受けて合格すると看護師になれます。また,4年制の大学であれば他に保健師、助産師の勉強もして、看護師とどちらかの国家試験を受験することができます。

 さらに、看護について研究したいなら、大学院への進学もあります。

 私は、1979年に広島県立安古市高等学校を卒業し,広島大学医学部附属看護学校へ進学して看護師の免許を取得しました。

 高校入学当時、自分の進路については漠然と「小学校の先生みたいなことがしたいなあ」程度の考えしかなく。高校2年生になってそろそろ進路を絞らなければという時点で親アドバイスもあり看護師の学校に行くことに決めたのです。小学校の先生ではなかっだけれど、基本的に自分の職業として「人と関わりがもてる何か」ということは決めていたので素直に親のアドバイスに従いました。

 1982年に広島大学病院に就職し,未熟ながらも,患者さんや家族の方からの感謝の言葉にやりがいを感じながら看護師としての経験を積んできました。

 その後,看護師長、副看護部長と責任が大きくなるにっれ、組織における管理能力の必要性を強くぎじ、2007年、広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻博士課程前期に進学し、2010年1月、修士(マネジメント)を取得しました。その後3年間、広島大学大学院で客員研究員として研究活動を続けました。
これらの経験を生かし現在では、広島大学病院で看護だけでなく、組織経営的な視点を持った仕事を楽し<実践しています。

 しかし、全てのスタートは看護学校への進学からでした。皆さまにも、多くの可能性を秘めた看護の道を是非お勧めしたいと思っています。

氏名村上 寛子(むらかみ ひろこ)
職業臨床検査技師(在職26年・検査科科長)
勤務先広島共立病院 検査科 科長

 病気を診断したり、重症かどうかを判断するために、医師は患者の訴えを聞き診察をします。症状や身体所見だけでは病気の診断が困難な場合、より正確な診断、病状の把握に役立つ情報を得るために「検査」を行います。この診断に必要な検査を実施する人が臨床検査技師です。

 臨床検査は『検体検査』と『生理機能検査』の2種類に分けられます。『検体検査』は、血液・尿・便・脳脊髄液・喀痰など、患者から得られた『検体』と呼ばれる材料を用いて、それらに含まれる物質を測定・分析する検査です。『生理機能検査』は心電図や超音波検査のように、患者の身体から直接情報を得て解析する検査です。臨床検査技師の仕事は診断治療に直結するので正確で迅速に報告する事が重要です。そのためには、常に機器の精度を保ち、新しい検査法や臨床診断基準の情報をリサーチし、知識の向上も必要となります。

 高校時代の私は剣道部に所属していました。部活動中心の生活を送っていたので進学や将来の事はあまり深<考えず、毎日楽しければいい・・といった高校生活を送っていました。進路を真剣に決める時期が来てもまじめに考えていなかった記憶があり、進路指導の先生のアドバイスがなければ臨床検査技師になっていなかったかもしれません。

 臨床検査技師は国家試験資格です。2年生までは学校で授業と実習があります。イビ学実験、兎の耳から抗体血清採血、細菌培養、等…理科の実験が好きな人は興味津ノマと思います。3年生になると自宅に近い実習病院に通います。実際の現場を体験することで、ますます検査技師への気持ちが高まります。3年生の冬に国家試験を受け、4月の入職直前に発表となります。

 社会人になってすぐの頃は、仕事を覚える事と先輩への気配りでぐったり疲れていた記憶しか思い出せないです。仕事に慣れた頃、意見を言う事に対して頭ごなしに押さえつけられるパワハラの環境に涙しました。現在はパワハラ委員会やセクハラ委員会等がある時代なので、そこまでひどいワンマン上司はいないと思います。

 人間関係がいい環境でもやはり信頼される関係を築くためには、相手の立場に立って考え(思いやり)、人の話をしっかり聞き(傾聴)、笑顔(やさしさ)で会話できる人になる事が基本だと思います。あなたのためなら頑張るわ~と言ってもらえる大人になってください。

氏名常光 恵子(つねみつ けいこ)
職業薬剤師(在職8年)
勤務先広島共立病院 薬剤科

 私は、病院薬剤師として働いています。薬剤師は働いている場所によって仕事内容が大きく違いますが、病院薬剤師はドラッグストアや町の調剤薬局で働いている薬剤師とは違い、入院患者さんの薬を扱っています。

薬剤師の仕事というのは、窓口で患者さんに薬を渡して、何に効く薬か、どのように飲むのかを説明することだけだと思うかもしれませんが、実はそこに至るまではたくさんの過程があります。

 医師が、患者さんに必要な薬(飲み薬や注射など)を処方します。それに対し薬剤師は、使い方や量は正しいのか、その患者さんに対して適した薬なのか、薬が数種類ある場合には一緒に使用しても問題はないか等々たくさんのことを確認し、問題がある場合には医師に確認をします。ここで内容が変わることは多々あり、薬剤師の必要性を感じる瞬間でもあります。そして、患者さんへ薬の説明を行い、副作用がないかどうか、きちんと薬の効果が現れているかどうか確認します。副作用の前兆を感じた時には、すぐに医師に報告し適切な処置をとります。患者さんは、ふとした疑問や不安な気持ち、これからの希望など、医師に対して思ったことをすべて伝えられないこともあり、患者さんの気持ちや要望などを汲み取って橋渡しをすることも大切な仕事のひとつです。また、抗癌剤等の危険を伴ったり技術を必要とする薬剤の準備をすることもあります。

 大学を卒業し国家資格を取得後、病院薬剤師として働き始めて一番苦労したのは、薬の使い方がわからない!!ということです。

 例えば、高血圧の薬はかなり沢山の種類があり、効き方が少しずつ違ったり、それぞれに特徴があります。その中で、どういった場合にどの薬を選択するのか、実際に現場で経験的に学ぶしかありません。また、1つ1つの薬については知っていても多種類の薬を組み合わせるとどうなるのか、これも経験的に学ぶしかありません。

 そのため、大学時代はもちろん勉強しましたが働き始めてからもかなり勉強を必要としました(むしろ、働き始めてからの方が勉強したかも・・?)。医薬品は絶えず新しい薬が開発されており、また既存の薬でも新しい使用方法ができたり、常に最新情報を集めておくことが大切です。

 高校時代、最初から薬剤師を目指していたわけではありませんでした。

高校1年生の時に理数系に進もうと思ったのは、物理学をもっと勉強したかったからです。その時は将来のことをしっかりと考えていたわけではなく、理数系に進んだ後に自分の将来像、職業について考えるようになりました。

私は弓道部に所属していて、学ぶことも楽しかったですが何よりも部活動を楽しんでいました。段位を取りたかったので引退時期を過ぎてからもしばらくは部活動を続けていて、勉強と部活動のバランスをとることを大切にしていました。

 大学生活は、勉強の内容は多岐にわたり、楽しく得意なこともあれば苦手なこともあります。興味ある専門分野の研究室に配属されてからは実験をしたり学会に出席したり、充実していました。でも今思うと、もっとたくさん学んでおけばよかったと思うことがたくさんあります。

 病院薬剤師の仕事はミスを未然に防いで医師に感謝された時や患者さんの不安を解消できた時など、やりがいを感じることが多いです。

 また専門的な知識が身についていくのでずっと続けていきたいと思える仕事です。
みなさんも自分がどんな仕事につきたいかよく考えて進路を選んでください。

氏名古居 俊一(ふるい しゅんいち)
職業理学療法士 (在職5年)
勤務先広島共立病院 リハビリテーション科

 私は理学療法士として、病院で勤務をしていますが、理学療法士とはどのような職業かご存知でしょうか。また、リハビリテーションを略して「リハビリ」という言葉を多く聞くと思います。リハビリテーションとは、どのような意味を指すでしょうか。当日は、理学療法士やリハビリテーションについてさまざまな話しができればと思います。

 私は、怪我をしたことがきっかけで、中学生の頃から理学療法士になりたいと思っていました。そのため、志望校が早くから決まっていたので、自分のペースでコツコツと勉強を進めることができました。大学の入試に関しては、担任の先生から推薦の話し頂き、推薦入試で大学に合格をしました。学校の授業を大事にしていたので推薦入試という手段が増えたのだと思います。

 大学は自宅から往復3時間をかけ、自宅から通っていました。アルバイトをする時間はありませんでしたが、勉強・サークル活動・友達との遊びと毎日忙しく過ごしていました。

 社会人になってから周りの方のペースに合わせるということが難しく、報告・連絡・相談を上手く行うことができず苦労をしました。また、社会人としての礼儀を尽し相手に接するということは不十分であり、今も日々研鑽を行っています。

氏名宮中 裕子(みやなか ゆうこ)
職業フルート演奏家・イタリア語通訳
勤務先フリーランス

 私は、フルーティスト、ソプラノ歌手、イタリア語の通訳の仕事をしています。フルーティストと言うとたまに「果物屋さん?」って聞かれたりすることもありますが、要するに人前でフルートを吹く事を生業としているのです。

 
演奏に関して言えば、好きであること、根気があること これだけそろえば誰だって出来ます。

私は、大学を卒業して2年間小学校の音楽の教員をし、その後7年間イタリアに留学しました。現在は広島にいて、中四国地方、東京、ヨーロッパで、リサイタル、オーケストラ、協奏曲のソリスト、室内楽などの分野で活動しています。

 幸いなことに音楽を通して私は様々な国の人たちと友達になることができましたが、それと同時に言葉の重要性を痛感しました。やはり何といっても国際社会では英語が一番ポピュラーだしどこでも通じやすいけれど、イタリア語やドイツ語の独特の面白さも、やはり使ってみて初めてわかります。

  イタリアのスカルファロ大統領が広島にお見えになって通訳した時のことや、ヨーロッパのオーケストラのメンバーの心の優しさや暖かさ、町全体の美しさ、ごく普通に文化を楽しむ人々の余裕のある暮らしむきなどをお話できたらなと思っています。

氏名原田 修治(はらだ しゅうじ)
職業警察官(在職31年)
勤務先広島県警察本部 警務部警察安全相談課 課長

勤務先の仕事について

 警察の仕事といえば,テレビなどで格好いい刑事が悪い奴を捕まえたり,推理力を働かせて犯人を追い詰めていく場面が思い浮かぶと思いますが,警察の仕事はそれだけではありません。
 私が勤務する警察安全相談課という部署は,県下の警察署で受理するいろんな相談をとりまとめ,適切な対応が取られているかどうか点検したり,警察本部の相談電話にかかってくる相談電話を受理したりしております。相談内容は,夫から暴力を振るわれるとか,ストーカー被害に遭っているとか,隣人と揉めているのでどうすればいいのかなど,様々です。
 些細なトラブルから大きな殺人事件などに発生することが多々ありますので,警察による積極的な対応はもちろんのこと,相談者の立場に立った対応が求められています。
 その他,警察の仕事を紹介しますと,刑事・生活安全・交通・総務・警務などがあります。(当日配付資料で紹介します。)

高校・大学時代の生活について

 私は,毘沙門台の下にある安佐中学校を卒業して,安古市高校に入学しています。今のこの地域からは,皆さん想像もつかないだろうと思いますが,中学生時代はまだ安古市高校がある毘沙門台はすべて山で,安佐中学校の周りの通りもすべて田んぼでした。私が中学1年生の後半頃から田んぼが埋め立てられ,山も崩されて団地になっていきました。安古市高校に入学したときは,高校に至るまでに民家がちらほらで,高校より上はすべて造成中でした。私は第1期生ですので,グランドの石取りを入学生全員でいつもしていた思い出があります。
 何とか県外の大学に入学したのは良かったのですが,いきなり厳しい男子寮に入寮し,クラブも少林寺拳法部に入部したことから,初めて親元を離れた寂しさと生活の厳しさにくじけそうになりましたが,ある時期を過ぎると楽になり,楽しい大学生活を送ることが出来ました。

警察官になってから

 警察に入ると,警察学校での教養を半年以上受けた後に,まずは交番のおまわりさんになります。ここで地域の住民の方々と接しながら,いろんな経験をしていきます。私はその後,約5年パトカーに乗って勤務しました。
その後,生活安全部少年課時代に暴走族対策をしたことが一番の思い出です。もう10年以上前ですが,当時の広島市内アリスガーデンや袋町公園では,毎週土曜日になると特攻服を着た暴走族少年が集まり,集会をしていました。多いときでは200名位がグループごとの旗をもって円陣を組み,大きな声で自己紹介をして示威行為をしていました。それ以後,警察の取り締まりと併せて関係機関との連携と立ち直り支援などが功を奏して,現在はほとんど見られなくなっています。

伝えたいこと

 皆さんは,大学受験や就職試験が待ち受け,その後の生活でも壁にぶち当たったり,くじけそうになることもこれからいろいろあると思います。その時は,逃げるのではなく,辛抱して我慢して前向きに取り組めば,必ず道は開けます。

 その時こそ,自分の進化が問われていると考え,頑張ってください。

氏名村上 慎一郎(むらかみ しんいちろう)
職業地方公務員(事務職)(在職26年)<
勤務先公益財団法人広島平4口文化センター平和連帯推進課市長会議担当課長(広島市役所からの派遣)

 皆さん、公務員に興味を持った理由は何ですか?親に勧められたから、と言う人は結構沢山いるんじゃないでしょうか。もしくは、「残業もなく定時で帰れる」とか「安定している」といった理由でしょうか?もしそういう安易な気持ちならやめた方がいいかもしれません。なぜなら広島市職員として、まず市民の健康で幸福な生活のために尽くし、広島のまちを良くしようという強い責任感と覚悟がなければ務まらないと思っているからです。

 とは言え実は、私は高校生の頃はこれといった夢も目標もなく自分が一体何をしたいのか分からず悩んだ時期もありました。就職する時も公務員ではなく給料のいい金融機関や大企業を希望していました。ではなぜ広島市役所に入ったのか。私は、大学時代にアルバイトや旅行などに明け暮れ、あまり勉強をしていなかったのでこれではまずい、親にも申し訳ないと思い、市役所の採用試験を目標に定めて勉強しました。その結果、運よく合格しましたが、企業にも合格しどっちに就職するか悩みました。結局、決め手になったのは、やはり自分が育った広島のまちが好きで、漠然とですが、そのまちを良くするために貢献したいと思ったからでした。

 入庁後1・2年が経ち、国際的な仕事に携わりたいと思って英語の勉強を始めたことが人生の転機になりました。そのお蔭で、希望した国際交流課での勤務が実現しただけでなく、海外研修や海外勤務など色々な経験をすることができました。現在の仕事は、「核兵器のない平和な世界の実現」を目指した取組を推進することです。ちょっとピンと来ないかもしれませんが、原爆による被爆の惨禍を経験した広島市ならではの仕事です。具体的には、核軍縮関係の国際会議に出席したり、海外からの要人に面会したりという非常にスケールが大きくプレッシャーの大きい仕事ばかりで、正直、楽な仕事ではありません。でも、自分の特技である英語を活かして仕事ができるので非常にやりがいを感じています。継続して英語を勉強した結果、何とか8年前に目標の英検1級、5年前に通訳案内士の資格を取得することができました。

 大切なことは、何か具体的な目標を立て、それを目指して努力し続けることです。皆さんも、英語でも何でもいいので、自分の特技を磨くなり知識を深めるなり、今のうちから努力を続けてみてください。きっと将来役に立つと思います。

氏名堀田 朗子(ほつた あきこ)
職業幼稚園 園長(在職19年)
勤務先学校法人藤本学園 河戸幼稚園

 私は,現在幼稚園教諭として仕事をしています。幼稚園の先生といえば,子どもと一緒にただ遊ぶ仕事と考える人もいるかもしれません。しかし,実際は,様々な,カリキュラムをたてた中で,担任のクラスの子ども達に一番あった活動を立案し,用意,指導,そして子どもの精神的ホローまでを一人でしなくてはいけないのです。

 また,近年は,複雑な社会環境の中で,子ども達も様々な家庭問題を抱えています。

 社会のひずみといったものが,一番弱者である子ども達に影響しているのです。そういったストレスから少しでも開放できるように精神的にケアーしていくのが,重要な仕事の一部となってきています。保護者の方と連絡を取ったり,専門的な研修を常に受け勉強したりしているのが現状です。その他にも,子ども達に興味のある活動を設定するために,教育的専門知識だけでなく様々な分野の知識も必要です。自園では,絵画,英会話,茶道,ポジフィット,マーチング,日本太鼓などを活動に取り入れています。そのどれも指導をするために常に勉強は欠かせません。

 しかし,子ども達との活動は,本当に楽しく,純粋な子ども達の反応は,感動の連続です。この職業についてよかったと日々感じています。

 私の高校時代ですが,比較的自由な校風の中,クラブ活動に没頭していました。始発のバスに乗って早朝練習し下校後も自主練習して,寝ているか練習しているかといった毎日でした。そのため,勉強には熱が入らず成績も悲惨なもので,特に英語は,成績の悪かった友達が安心するために私に点を聞きに来るほど苦手でした。しかし,入部当初は,初心者が多く,県大会出場もできなかったクラブが,最終的に県内3位になるまでになったのが,とても良い思い出となり又,やればできるという自信になったと思います。その時一緒に活動した友達とは,今も連絡を取り合いお互いに励ましあっています。

 ただ,あまりに勉強をおろそかにしたため進学先も限られた範囲の中でしか選択できませんでした。結果,もう少し勉強したいと後悔するようになり,短大卒業後,アメリカに留学を決意しました。留学中は,ネイティブの学生に混じっての勉強についていくことに必死で,受験以上に毎日勉強しました。また,アメリカでも保育を専攻したことで,たくさんの知識や経験ができ,今の仕事にとても役に立っています。

 帰国後に,すぐに今の職業についたわけでは,ありません。旅行会社勤務後,結婚して専業主婦も経験しました。また幼稚園勤務後は事務職も7年あまり経験しました。その経験は,就職後すぐに「先生」と呼ばれ,ある意味天狗になりがちな教職にない体験で,保護者の方の気持ちが理解できとても役に立っていると思います。自分の立場からだけでなく相手の立場からも物事を考えられことは,社会人にとってとても必要なことだと思います。知識だけでなく人とのコミュニケーションが,大切だと思います。知識も仕事に不可欠な要素だとおもいますが,職場の仲間との連携なくして仕事はなりたたないのです。みなさんも受験勉強で,忙しいとは,思いますが,是非たくさんの人と関わりたくさんの経験をつんで社会人になってください。

氏名河野 博一(こうの ひろいち)
職業小学校 校長 (在職30年)
勤務先広島市立ハ幡東小学校

 小学校の教師になって30年がたちました。小学校の教師という仕事はとてもやりがいのある仕事だと思います。この仕事がつらいとかやめたいと思ったことは一度もありません。特に学級担任時代はそうでした。何といっても、子どもたちの「笑顔」が一番のやりがいであり、自分自身のエネルギーになっています。解けなかった問題ができたとき、とべなかったとび箱がとべたとき、できなかった逆上がりができるようになったとき、「先生、分かった!」「先生、できたよ!」「先生、ありがとう!」と顔をかがやかせて報告に来る子どもたちの笑顔。そんなとき、「ああ、この仕事を選んで本当に良かった。」と思うのです。

 私の高校時代は部活動に打ち込みました。サッカークラブに所属し、毎日練習に明け暮れました。当時、部員は50人くらいいましたから、レギュラーになることは大変なことでした。私は、試合に出るよりもベンチを温めている時間の方が長かったのですが、仲間と苦楽をともにした経験は今でも大事な思い出になっています。小さいときからの「小学校の先生になりたい」という夢に向かって進路決定の時期に、担任の先生が親身になってアドバイスしてくださったことも、ありがたいことでした。

 大学時代は、アルバイトにも一生懸命でした。ファミレス、プロレスのリングづくり、一流ホテルの内装改装、工事現場、アイドルコンサートの警備、ガソリンスタンド・・・。様々なアルバイトをしながら、多くの人とふれあったり、知らない世界を垣間見たりすることができました。

 あこがれの小学校の教師になってからは、修行の毎日でした。ベテランの先生方との教育技術の力量の差にショックを受けました。「学ばねば良い先生にはなれない」「学び続けるものだけが教壇に立てる」という自分なりの哲学が確立したのもその頃でした。教師の仕事の大部分は「授業」です。「楽しくわかる授業」の開発が、若い頃からの一貫したテーマでした。そのために、多くの本を読み、多くの研究会に参加し、サークルで同じ志を持つ友と切磋琢磨しました。

 毎年、卒業させた子どもたちがクラス会を開いてくれます。卒業の時に、「20歳になったら会おうな。」と言った言葉をどの子も覚えているようです。「小学校時代の楽しかった思い出」を一人一人が語ってくれます。子どもたちとの生活はせいぜい1年か2年です。でも、心を込めて一生懸命に子どもたちと生きる中で、何十年もつきあっていくことになるのです。その責任の重さを感じつつ、これからも誠実に子どもたちと関わっていきたいと思っています。

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