平成28年度 進路講演会

平成28年6月1日、6・7限の午後2時25分から午後4時15分で、本校卒業生による進路講演会が開催されました。

趣旨

キャリア教育の一環として、第1・2学年生徒全員が、安古市高等学校の卒業生や保護者、学校関係者等の社会の第一線で活躍する人生の先輩方から、高校・大学生時代の生活や仕事、また社会人にとって必要な資格等について講演を聞くことで、適切な職業感の涵養を図り、将来を見据えた進路設計の構築に資する。

氏名道田 泰之
職業起業家(社長)
(25歳で起業し、今年で17年目に突入!)
勤務先株式会社ドリームデッサン 代表取締役

 こんにちは。株式会社ドリームデッサン代表取締役 道田泰之と申します。自分が卒業した高校で、今年も、みなさんにお話をさせていただける機会をいただき、大変嬉しく思っています。今回も私の講演は、起業家(社長)という職業について、仕事の内容や、普段の生活などをご紹介すると共に、「社長」という仕事について、みなさんの疑問や質問にお答えしながら進めていけれぱと思っています。ただ私白身も、自分が高校生の時には起業家になろうと思っていたわけではないので、なかなか今の時点で、起業家になりたし方は少ないかもしれませんが、変化の激しいこの現代社会を生き抜いていく上で、進路を選択する上で、大切なことや、今の時期から身につけておいたら良いことなどを、本音トークで、みなさんにお伝えでさればと思っています。
                         
社長の仕事って何??・社長って儲かるのか??・社長は大変か??・社長って、どうやったらなれる??などなど、皆さんから聞いてみたい素朴な疑問になんでもお答えしていければと思いますので、もしも今、自分の勉強や、進路、いろいろなことで悩みや疑問があれば、何でも質問していただければと思います。

 私は、大学卒業後、社会に出て、1年だけ税理士事務所に勤めた後、すぐに会社を辞めて起業しました。

1年は25歳になったばかりのころで、まだまだ転職は、今の時代のように一般的ではなかった時代でした。当然、当時の上司も、親も大反対。周りの人は誰一人も賛成しないという環境の中での起業でした。もっとも、もともと親の言うことなど素直に聞<ようなタイプではありませんでしたが・・・。
 

自分でも無鉄砲なことをしたものだと、今になって思いますが、その時はなんとかなるようが気がしていました。すでにあの日から、今年で17年ぐらいが過ぎようとしています。
 
起業家というのは、自分で事業を見つけて仕事にしますし、途中で事業を変えたりしますので、職業といみう観点からいけば少し特殊なタイプに属してしまうのかもしれません。

ただ、私白身、起業家としてここまで生きてきて感じること、学んだことがたくさんありました。今の激動の時代を生き抜くために大切なこと、今のうちから学んでおけば良いことなどをみなさんからの質問も交えながら、時間一杯、本音でお話させていただけれぱと思っています。
 
 昨年の授業のときも2年続けて私の講義を選択してくださった生徒さんがいらっしゃいましたので、昨年と似ている内容ではいけないと思い、今年は2時間目に別の内容をお話しさせていただくこととしました。
 
こちらは、「現役社長が教える!自分に向いてる職業とは?職業の選び方!社会にでて役に立つ高校生活の送り方!」というタイトルにはさせていただきましたが、実のところは「私自身が高校生の時に聞きたかっだ話」というのが基本的な内容になります。
 
 私も、みなさんと同じ安古市高校にて高校生活を3年間過ごしましたが、受験勉強や大学入学にうまく意味を見いだせなかった私は、勉強にもあまり身が入らす、高校の中で完全に落ちこばれ状態でした。
 
クラブやバンド活動など楽しいことたくさんありましたが、自分としては、うま<高校生活になじめていなかったように感じていて、日々、悩みを抱えていたように思います。
 
社会に出て、会社を設立し、多くの方と出会ったり、高校時代の友人たちのその後の進路をみていくなかで、勉強以外にも社会にでて非常に役に立つ能力や知識がたくさんあることに気が付きました。あくまで、経験とともに気が付いてきたことなので、すべてみなさんにお伝えできるかどうかわかりませんが、私と同じような悩みを抱えているみなさんや、これから同じような状況に遭遇してしまった場合に、少しでもヒントになればと思い、お話させていただければと思いました。
 
 内容的には高校生なら多くの人が直面しそうなテーマについて、今、みなさんより少し?先の人生を歩んでいるものとしてお話させていただければと思います。
 
もちろん、こちらの授業でもみなさんからの疑問、質問についてはどんどんお応えしていこうと思いますので遠慮なくご質問くださいね。当日、皆様とお会いできるのを楽しみにしています。よろしくお願い致します。感謝をこめて。

氏名秦 誠―郎(はた せいいちろう)
職業弁護士(7年)
勤務先国政法律事務所

裁判官,検察官,弁護士は,法曹(「ほうそう」と読みます。)三者と呼ばれ,三権分立の司法に関与する法律の専門家です(検察官は,犯罪を捜査し,処罰を求める公務員です。警察官も犯罪を捜査しますが,警察官ではありません。)。法曹三者のうち,裁判官と検察官は公務員ですが,弁護士は民間人です。

    弁護士は,基本的人権をまもり,社会正義を実現することが使命とされています(弁護士法1条)。弁護士の主な仕事は,民事(お金を払って欲しいなどの争い),家事(離婚などの争い),刑事(犯罪の有無や刑罰に関する争い)などの交渉や裁判ですが,その他にも,高齢者の後見人になって,生活の手助けをしたり,会社や学校の役員になって,業務を監督したり,県や市の委員になって,県政や市政に関与するなど,活躍の場は広いです。また,税理士や弁理士などの業務を,主な仕事としている弁護士もいます。
    法曹は,人の人生に大きな影響を与える仕事ですから,高い倫理観・道徳観が求められます。虚偽の事実の主張や,証拠の偽造など,真実をねじ曲げるようなことは,絶対にあってはなりません。

    弁護士は,相手の勘違いを見破って,事件を妥当な解決に導くことができたり,事件解決後に,依頼者から笑顔でお礼を言われたりしたときに,やり甲斐を感じます。

   その反面,妥当と思う解決にならなかった場合には,くやしい思いをすることもあります。また。弁護士は,原則として自営業者ですから,時間の使い方や仕事の進め方を,自分の責任の範囲で自由に決めることができます。

   ただし,現在,司法制度改革が進んでいますので,将来について不透明な点があり,不安に思っている弁護士は多いです。

   私は,学生時代は物理学を専攻し,物理学者を志していました。しかし,大学院(修士課程)を卒業したときに,大学への就職が非常に厳しいこと,人間相手の仕事をしたくなったことなどの理由で,弁護士になることを決意し。学習塾の講師などをしながら,法律を勉強して,弁護士になりました(当時は,大学等で法律を勉強していなくても,国家試験に受かれば,法曹になることができました。)。

   裁判官,検察官,弁護士は,原則として,大学卒業後,2年又は3年間,法科大学院で法律を勉強し,司法試験という国家試験に合格後,司法修習という1年間の実務研修を経て,それぞれの仕事に就くことになります。ただし,その仕事も絶対的に固定されたものではな<,裁判官や検察官を退職して,弁護士になる人は多いですし,弁護士が希望を出して,裁判官などの公務員に採用されることもよくあります。

   なお,よくある誤解ですが,弁護士(法曹)になるために必要なことは,法律の考え方を身に付け,法律を道具として使うことができる能力ですので,六法全書(法律の条文集)を暗記しているわけではありません(もちろん,よく使う条文は,自然に覚えています)。

氏名三上 かおり(みかみ かおり)
職業コミュニケーションコンサルタント
勤務先虹の森

*広島大学在学中にルドルフ・シュタイナ一教育に出会い,学ぶ。
*広島市立中学校教諭(担当教科 数学)15年。
*結婚後3児の母となり,子育ての中で米国の臨床心理学者トマス・ゴードン博士のコミュニケーション・プログラム(親業)を知り,数ノマの講座を受講し,子育てや教師としての実践に生かす。
*教諭を辞職して米国カリフォルニアに子連れ留学,ルドルフ・シュタイナー・カレッジにて学生生活 4年。
*帰国後,コミュニケーション・コンサルタント(親業訓練インストラクター,教師学インストラクター)として13年目。

仕事の内容

親、教師、学生、職場、一般の方々対象に、より良い人間関係を築いていく効果的なコミュニケーション・スキルを身につけていくための講座、講演会、研修会の講師。

講演の内容

私たちは、人とかかわって生きています。学校や、家庭などでの様ノマな人間関係の中で、私たちは幸せも感じるし、悩みも持ちます。「良い」人間関係の中では、心地よさを味わうでしょうし、意欲も湧くでしょう。逆に居心地の悪い人間関係の中では、ストレスも溜まり、自分の力を発揮することも難しくなるのではないでしょうか?
 充実した人生のために、「良き人間関係」はとても重要です。では、それはどうやったら手に入るのでしょうか。お金で買えるでしょうか?人から借りることができるでしょうか?
 答えは「NO」です。「良き人間関係」を手に入れるには、自分自身の「人間関係力UP」が不可欠です。良き人間関係を作り上げていく方法を学び、実践力を磨いていくこと、それが「良き人間関係」を自分の周りに作っていくことにつながります。
  皆さんが、今後の人生をより充実したものにしていかれるよう願いを込めて、良き人間関係を築くコミュニケーションについて、講義や演習、体験談を提供致します。

氏名小室 一彦(おむろ かずひこ)
職業会社員(金融ITソリューション営業担当)
勤務先(株)野村総合研究所

 現在、私の担当している仕事は、金融業界で使われている情報システムの営業・販売活動です。営業・販売と言っても、個人にではなく、証券会社や銀行といった企業(会社)に対して活動しています。私の部署では、そのような企業を「お客様」と呼んでいたりもします。

 今年からは、短期的に、そのお客様のビル内で、お客様の立場で、仕事をしています。お客様の立場で、私の会社の担当者に向き合って仕事をすることが、現在の業務です。

 さて、私の高校時代の紹介に入りますと、
 ①当時の好きな教科は、英語と数学(2年生の途中から)でした。②部活は硬式テニス部で、1年生の1学期には、毎日、安佐中学校まで走って往復、球拾いを繰り返していました。当時は大変だったのですが、今では、“趣味として”テニスを続けています。

 大学進学のきっかけとなったのは、あるニュース記事でした。それは「牛肉・オレンジの貿易自由化」というニュースです。自国の産業を守る・育成するために、特定の食品等を海外より輸入する場合に、関税(税金)をかけているのですが、当時、為替レートが米ドルに対して、円高になっていたという背景もあり、関税撤廃の動きがありました。「なぜ同じ食品が高く買えたり、安く買えたりするのだろう?」と疑問を持ち、漠然とでしたが、経済に興味を持ち始めました。

 大学では、経済学部に入学しました。授業(講義)は、必修の科目以外は選択できます。その頃から「自分は何になりたいのか」、漠然と考えるようになりました。大学は広島市内でしたが、学生は日本各地から集まっており、交友範囲も広がり、よ<情報交換をしていました。3年生(3回生)になると各自で専攻を決め、卒業論文の指導を受けるのですが、高校時代に興味を抱いた国際経済学に志望を出していました。

 今の会社で苦労したことは、金融関係の情報システムの設計・プログラミングでした。私の会社では、就職して最初の1年間は、インストラクターと言う入社2、3年目の上司が、一緒に仕事の進め方を教えて下さいましたので、かなりの時間を割いて教えて頂きました。

 約10年前には、得意科目の英語を生かして、海外へ出張し、現地の方と会話して業務を進めたことが、良い思い出となっています。社会人になってからも思うのは、語学の勉強は必要だということです。

氏名藤代 諒(ふじしろ りよう)
職業システムエンジニア(SE)(在職:2年)
勤務先株式会社富士通システムズ・ウエスト

 システムエンジニア(SE)と聞いてどのようなことをイメージしますか?

ちなみに、私は文系学部出身のシステムエンジニアです。現在SEは文系学部出身の方が増えています。文系クラスや文系に進路を考えている方でも、ぜひ講演を聞きに来てください。仕事の内容や高校時代~社会人になってからについては以下、箇条書きにしています。詳細については講演時に説明いたします。興味がある方はぜひ聞きに来てください。

勤務先の仕事

  • システム・パッケージソフト開発
  • リクルーター活動(新卒採用の会社説明会などに先輩社員として参加)

高校時代や大学時代について

  • 高校時代は文化祭や体育祭などの行事や部活動(サッカー)を頑張っていました。
  • 進路は教師を目指しながらも、教育学部以外の学部で教職免許を取ることを考えて選択しました。
  • 大学進学後、現イ戈社会学という分野を勉強しつつ教職免許(地歴・公民)を取得しました。
  • 教育実習は安古市高校で行いました。
  • 教育学を学ぶため大学院に進学し、イギリスに調査に行きました。

社会人になってから

  • 教師を目指していたものの、システムエンジニアという別の職業に就いています。
  • 社会人としての基本動作がまだ十分ではなく、日々反省しながら業務を行っています。
  • プログラムの知識が無かったため、開発作業に苦戦しています。
  • プログラムしたものが動く、作ったものでお客様から感謝していただくことで、やりがいや楽しさを感じています。
氏名金本 俊介(かねもと しゅんすけ)
職業マツダ株式会社 CAE技術開発 (在職7年)
勤務先マツダ株式会社 車両開発本部 CAE技術開発グループ

 マツダという会社をご存知でしょうか。聞いたことがある人も多いかと思いますが、広島に本社を置く自動車製造会社です。私はそこで働く自動車を開発するエンジニアです。ひとえにエンジニアと言っても多様な仕事があり、どんな仕事をしているか知られていないことも沢山あります。この講演ではマツダでの私の仕事について紹介するとともに、エンジニアの仕事について興味をもってもらいたいと思います。そしてみなさんが自分の将来を考えるきっかけになれることを期待しています。

自動車の開発とは、「走る」、「曲がる」、「止まる」といった基本的な部分から、燃費が良く力強いエンジン、乗り心地の良い室内空間、魅力的なデザインなど多くのことがある中で私は「衝突安全性能」という交通事故に関わる仕事をしています。安全であるためには、運転のしややすさや自動ブレーキなどの装置によって事故を起こさないことが第一です。しかし、万が一避けられない事故が起こってしまったとき乗員や歩行者の被害を最小限に軽減する衝突安全性能は非常に重要となります。本講演では衝突安全性能を中心に開発の仕事を紹介します。進路を決めるにあたって、ものの仕組みや構造を知ることが好きだった私は、学生時代から「ものづくり」を意識するようになりました。乗って楽しい車をつくる、「これでいい」ではなく「これがいい」と言える車をつくるんだというマツダの妥協しない車づくりの姿勢に共感したことが、マツダに就職を決めた理由です。 

 しかし、高校時代は3年生になるまで真剣に進路を考えていませんでした、バレー部に所属していた私は引退するまで部活に打ち込んでおり、進路を本気で考えたのは3年生の夏頃です。ただ漠然と、乗り物っていいなとか、パイロットになりたいなとか、ものづくりって楽しそうくらいに思っていました。受験、浪人、大学進学、専攻の選択、就職活動と進む中で、自分のやりたいことが徐々に定まっていき、真っすぐではありませんでしたが今の仕事までつながってきました。

 大学・大学院へと進学してからは勉強や研究だけでなく、人工衛星を作る活動など多くのことを経験できました。高校を卒業してからは、いろいろと与えられることが少なくなります。

興味を持って能動的に行動する姿勢が大切だと感じています。

就職してから学生時代との違いを感じるのは、求められる能力が勉強以外に沢山あることです。コミュニケーション能力であったり、リーダーシップであったりと様々です。これらは単に教えてもらうだけでなく、実体験したり、失敗したりして身に着いていくものです。みなさんが今経験している毎日がきっと成長につながりますので、いろんなことに積極的に挑戦することをお勧めします。

 興味のあることに積極的になり、喜び多い楽しい人生を自らの足で歩んでいきましょう。

氏名和田 良香(わだ よしか)
職業看護師(認定看護管理者,医学部臨床教授,副看護部長,運営支援部クラークGL)
勤務先広島大学病院

 人の命や健康を守ることや,誕生から死を看取ることまで社会貢献ができる専門職です。
 病人やけが人だけでなく妊婦,回復した人。健康な人も含めた「人」を対象に病気の予防,健康管理のための情報やサービスを提供する職業です。最近では,看護の社会的役割の重要性から,護師・認定看護師・認定看護管理者などの,より専門的な活動も増えています。

看護師資格について

国家資格とは国が法律で定め,国や地方自治体などが認定する資格のことを言います。
  看護師も国家資格であり,医師以外の人が看護をしてはいけないので独占業務になります。
 「保健師助産師看護師法」に基づき,厚生労働大臣が免許を交付します。

看護師になるための順序

 高校卒業後,看護大学を4年または看護師養成所,看護専門学校を3年ないし4年間勉強し基礎知識を学び,国家試験を受けて合格すると看護師になれます。また,4年制の大学であれば他に保健師,助産師の勉強もして,看護師とどちらかの国家試験を受験することができます。

 さらに,看護について研究したいなら,大学院への進学もあります。

私は,1979年に広島県立安古市高等学校を卒業し,広島大学医学部附属看護学校へ進学して看護師の免許を取得しました。高校入学当時,自分の進路については漠然と「小学校の先生みたいなことがしたいなあ」程度の考えしかなく,高校2年生になってそろそろ進路を絞らな贈ればという時点で親のアドバイスもあり看護師の学校に行くことに決めたのです。小学校の先生ではなかっだけれど,基本的に自分の職業として「人と関わりがもてる何か」ということは決めていたので,素直に親のアドバイスに従いました。 

1982年に広島大学病院に就職し,未熟ながらも,患者さんや家族の方からの感謝の言葉にやりがいを感じながら看護師としての経験を積んできました。

その後,看護師長,副看護部長と責任が大きくなるにつれ,組織における管理能力の必要性個強く感じ,2007年,広島大学大学院社会科学研究科マネジメント専攻博士課程前期に進学し、2010年3月,修士(マネジメント)を取得しました。その後3年間,広島大学大学院で客員研究員として研究活動を続けました。

これらの経験を生かし現在では,広島大学病院で看護だけでな<,組織経営的な視点を持つだ仕事を楽し<実践しています。
しかし,全てのスタートは看護学校への進学からでした。皆さまにも,多<の可能性を秘めだ看護の道を是非お勧めしたいと思っています。

氏名村上 寛子(むらかみ ひろこ)
職業臨床検査技師(在職28年・検査科科長)
勤務先広島共立病院 検査科 科長

 病気の診断や重症かどうかを判断するために、医師は患者の訴えを聞き診察をします。

症状や身体所見だけでは病気の診断が困難な場合、より正確な診断、病状の把握に役立つ情報を得るために「検査」を行います。この診断に必要な検査を実施する人が臨床検査技師です。

 臨床検査は『検体検査』と『生理機能検査』の2種類に分けられます。『検体検査』は、血液・尿・便・脳脊髄液・喀痰など、患者から得られた『検体』と呼ばれる材料を用いて、それらに含まれる成分や細胞を測定・分析する検査です。『生理機能検査』は心電図や超音波検査のように、患者の身体から直接情報を得て解析する検査です。臨床検査技師の仕事は診断治療に直結するので正確で迅速に報告する事が重要です。そのためには、常に機器の精度を保ち、新しい検査法や臨床診断基準の情報を集め検討導入し、知識の向上も必要となります。

 高校時代の私は剣道部に所属していました。部活動中心の生活を送っていたので進学や将来の事はあまり深く考えず、毎日楽しければいい・・といった高校生活を送っていました。進路を真剣に決める時期が来てもまじめに考えていなかった記憶があり、進路指導の先生のアドバイスがなければ臨床検査技師になっていなかったかもしれません。

 臨床検査学科では授業と実習があります。化学実験、動物を使っての免疫実験、細菌培養、等‥・理科の実験が好きな人は興味津々と思います。最終学年になると自宅に近い実習病院に通います。実際の現場を体験することで、ますます検査技師への気持ちが高まります。最終学年の冬に国家試験を受け、4月の入職直前に発表となります。

 就職して最初にやりがいを感じた時は、患者さんに感謝の言葉を伝えられた時です。心電図検査で心筋梗塞波形に気づきすぐに医師に報告ができたため、患者さんのカテーテル処置がすばやく行われた時は見逃さなくて良かった~と思いました。その患者さんが元気になって私に会いに来てくれたとき「ありがとう。あんたが見つけてくれたから助かったわ。」と言われた時はとても嬉しかったです。血液データのパニック値(生命に危険が及ぶような異常値)を医師に報告し迅速な治療に貢献できた時、緊急輸血の対応がすばやくできた時、腹部エコー検査で腫瘍を見つけ手術で完治した報告を患者本人から聞いた時・・など、色々なな場面でやりがいを実感します。色々な検査を通して救命救急にかかわれる事ができる職種が臨床検査技師です。

氏名常光 恵子(つねみつ けいこ)
職業薬剤師(在職9年)
勤務先広島共立病院 薬剤科

私は、病院薬剤師として働いています。薬剤師は働いている場所によって仕事内容が大きく違いますが、病院薬剤師はドラッグストアや町の調剤薬局で働いている薬剤師とは違い、入院患者さんの薬を扱つています。

薬剤師の仕事というのは、窓口で患者さんに薬を渡して、何に効く薬か、どのように飲むのかを説明することだけだど思うかもしれませんが、実はそこに至るまではたくさんの過程があります。
 
医師が、患者さんに必要な薬(飲み薬や注射など)を処方します。それに対し薬剤師は、使い方や量りま正しいのか、その患者さんに対して適した薬なのか、薬が数種類ある場合には一緒に使用しても問題はないか等々たくさんのことを確認し、問題がある場合には医師に確認をします。ここで内容が変わることは多々あり、薬剤師の必要性を感じる瞬間でもあります。そして、患者さんへ薬の説明を行い、副作用がないかどうか、きちんと薬の効果が現れているかどうか確認します。副作用の前兆を感じた時には、すぐに医師に報告し適切な処置をとります。患者さんは、ふとした疑問や不安な気持ち、これからの希望など、医師に対して思ったことをすべて伝えられないこともあり、患者さんの気持ちや要望などを汲み取って橋渡しをすることも大切な仕事のひとつです。また、抗癌剤等の危険を伴ったり技術を必要とする薬剤の準備をすることもあります。

大学を卒業し国家資格を取得後、病院薬剤師として働き始めて一番苦労したのは、薬の使い方がわからない!!ということです。

例えば、高血圧の薬はかなり沢山の種類があり、効き方が少しずづ違ったり、それぞれに特徴があります。その中で、どういった場合にどの薬を選択するのか、実際に現場で経験的に学ぶしかありません。また、1つ1つの薬については知っていても多種類の薬を組み合わせるとどうなるのか、これも経験的いこ学ぶしかありません。

そのため、大学時代はもちろん勉強しましたが働き始めてからもかなり勉強を必要としました(むしろ、働き始めてからの方が勉強したかも・・?)。医薬品は絶えず新しい薬が開発されており、現存の薬でも新しい使用方法ができたり、常に最新情報を集めておくことが大切です。

高校時代、最初から薬剤師を目指していたわけではありませんでした。

 高校1年生の時に理数系に進もうと思つたのは、物理学をもっと勉強したかったからです。その時は将来のことをしっかりと考えていたわけではなく、理数系に進んだ後に自分の将来像、職業について考えるようになりました。

私は弓道部に所属していて、学ぶことも楽しかったですが何よりも部活動を楽しんでいました。段位を取りたかったので引退時期を過ぎてからもしばらくは部活動を続けていて、勉強と部活動のバランスとることを大切にしていました。

 大学生活は、勉強の内容は多岐にわたり、楽しく得意なこともあれば苦手なこともあります。興味ある専門分野の研究室に配属されてからは実験をしたり学会に出席したり、充実していました。でも今思うと、もっとたくさん学んでおけばよかったと思うことがたくさんあります。
 病院薬剤師の仕事はミスを未然に防いで医師に感謝された時や患者さんの不安を解消できた時など、やりがいを感じることが多いです。

また専門的な知識が身についていくのでずっと続けていきたいと思える仕事です。
みなさんも自分がどんな仕事につきたいかよく考えて進路を選んでください。

氏名古居 俊一(ふるい しゅんいち)
職業理学療法士 (在職7年)
勤務先広島共立病院 リハビリテーション科

 私は理学療法士として、病院で勤務をしています。理学療法士とはどのような職業かご存知でしょうか。また、リハビリテーションを略して「リハビリ」という言葉を多く聞くと思います。リハビリテーションとは、どのような意味を指すでしょうか。当日は、理学療法士やリハビリテーションについて、病院の中での仕事内容や病院以外での活動についてなど、さまざまな話しができればと思います。

私は、中学生の時にクラブ活動で怪我をして病院に通ったことがきっかけて、理学療法士という職業を知りました。その頃から理学療法士になりたいと思っていました。そのため、志望校が早くから決まっていたので、自分のペースでコツコツと勉強を進めることができました。大学の入試に関しては、担任の先生から推薦の話を頂き、推薦入試で大学に合格をしました。学校の授業を大事にしていたので推薦入試という手段が増えたのだと思います。

 大学は自宅から往復3時間をかけ、自宅から通っていました。アルバイトをする時間はありませんでしたが、勉強・サークル活動・友達との遊びと毎日忙しく過ごしていました。

 社会人になってから周りの方のペースに合わせるということが難しく、報告・連絡・相談を上手<行うことができず苦労をしました。また、社会人としての礼儀を尽し相手に接するということは不十分であり、今も日々研鑽を行っています。

氏名宮中 裕子(みやなか ゆうこ)
職業フルーティスト・イタリア語通訳
勤務先ジャパンチェムバーフィルハーモニー

 私は、フルーティスト、ソプラノ歌手、イタリア語の通訳の仕事をしています。ブルーティストと言うとたまに「果物屋さん?」つて聞かれたりすることもありますが、要する人前でフルートを吹く事を生業としているのです。 演奏に関して言えば、好きであること、根気があること、これだけそろえぱ誰だって出来ます。

 私は、大学を卒業して2年間小学校の音楽の教員をし、その後了年間イタリアに留学しました。現在は広島にいて、中四国地方、東京、ヨーロッパで、リサイタル、オーケストラ、協奏曲のソリスト、室内楽などの分野で活動しています。

 幸いなことに音楽を通して私は様々な国の人だちと友達になることができましたが、それと同時に言葉の重要性を痛感しました。やはり何といっても国際社会では英語が一番ポピュラーだしどこでも通じやすいけれど、イタリア語やドイツ語の独特の面白さも、やはり使ってみて初めてわかります。

 参考になるかどうかわかりませんが、イタリアのスカルファロ大統領が広島にお見えになって通訳した時のことや、ヨーロッパのオーケストラのメンバーの心の優しさや暖かさ、町全体の美しさ、ごく普通に文化を楽しむ人ノマの余裕のある暮らしむきなどをお話できたらなと思っています。

氏名添田 誠(そえだ まこと)
職業地方公務員(警察官、在職15年)
勤務先広島県警察本部 刑事部 捜査第二課 刑事部

勤務先の仕事について

 「警察官」と言った場合、皆さんはどのような人物を思い浮かべますか?交番のお巡りさんとか、犯罪捜査を行う刑事とか、白バイやパトカーに乗った警察官とか、人それそれではないでしょうか?

 それもそのはずです。警察の仕事とは一言で言うと、「みなさんの安心と安全を守ること、非常に開口が広いものなのです。ですから、各警察官は様々な分野においてそれぞれの業務を行っており、必要となってくるスキルも様々です。

 このような曖昧な説明では、警察の仕事がどのようなものか分からないかもしれませんので、当日は、一般的な話から少し専門的な話まで行うことで、みなさんに少しでも警察の仕事を理解し、興味をもってもらいたいと思います。なお、とあるテレビ番組のような「ぶっちゃけトーク」は致しません。

学生時代について

 私は小学生ころから、なぜか時代劇や刑事ドラマが好きでした。そのため、警察官、特に刑事というものに憧れはありましたが、それは「悪者を退治するヒーロー」に憧れるようなものであり、そこまで本気で「将来の自分の職業にしよう」というまでの気持ちはありませんでした。従って、学生時代は、警察になるための勉強や柔剣道等はしていませんでした。

 大学も、ただ「数学が苦手」という理由で文系学部を志望し、「文系学部の中だったら法学部が一番面白そう」という理由で法学部に進学しました。ただ、大学3年生になり、就職を考え始めた際に、一生続けていくにはどんな仕事がいいか考えてみました。

  そのなかで、子供ころから憧れていた警察官という仕事内容についても調べてみたところ、非常にやりがいのある仕事だと感じ、広島県警察官の採用試験を受験したのです。

社会人として

 社会人の先輩としてみなさんに言いたいことは、「目標を持ち、それに向けて努力すること」です。

 努力をしてもしなくても、一日はあっという間に過ぎていきます。 学生時代であれば、テスト等があるため、否が応でもそれに向けて努力したり、現在の自分の実力を見極める帽とができますが、社会に出るとそのような機会はありません。ですから、自分自身で目標を定め、それに向かって努力することが必要になってきます。

 目標があれば日々の生活の中でも問題意識を持つことができますし、頑張る気持ちも湧出てくると思います。

氏名村上 慎一郎(むらかみ しんいちろう)
職業地方公務員(事務職)(在職27年)
勤務先広島市役所市民局文化スポーツ部文化振興課

 皆さん、公務員に興味を持った理由は何ですか?親に勧められたから、と言う人は結構沢山いるんじやないでしょうか。もしくは、「残業もなく定時で帰れる」とか「安定している」といった理由でしょうか?もしそういう安易な気持ちならやめた方がいいかもしれません。なぜなら広島市職員として、まず市民の健康で幸福な生活のために尽くし、広島のまちを良くしようという強い責任感と覚悟が必要だからです。

とは言え、実は、私は高校生の頃はこれといった夢も目標もなく、何をしたいのかも分からず悩んだ時期もありました。’就職する時も公務員ではなく給料のいい金融機関や大企業を希望していました。ではなぜ広島市役所に入ったのか。私は、大学時代にアルバイトや旅行などに明け暮れ、あまり勉強をしていなかったので、これではまずい、親にも申し訳ないと思い、市役所の採用試験を目標に定めて勉強しました。その結果、運よく合格しましたが、企業にも合格しどっちに就職するか悩みました。結局、決め手になったのは、やはり自分が育った広島のまちが好きで、漠然とですが、そのまちを良くするために貢献したいと思ったからでした。

 入庁後2年が経ち、国際的な仕事に携わりたいと思って英語の勉強を始めたことが人生の転機になりました。そのお蔭で、希望していた国際交流課での勤務が実現しただけでなく、海外研修や海外勤務などの得難い経験をすることができました。今年3月までは、「核兵器のない平和な世界の実現」を目指した取組を推進する業務に携わり、核軍縮関係の国際会議に出席したり、海外からの要人に面会したりという非常にスケールが大きくプレッシャーの大きい仕事をしていました。正直、楽な仕事ではありませんでしたが、原爆による被爆の惨禍を経験した広島市ならではの仕事で、特技の英語を活かして仕事ができるので非常にやりがいがありました。4月からは文化振興課という部署に異動し、新たなチャレンジをしています。

 継続して英語を勉強した結果、何とか英検1級と通訳案内士の資格を取得することができました。大切なことは、何か具体的な目標を立て、それを目指して努力し続けることです。皆さんも、英語でも何でもいいので、自分の特技を磨くなり知識を深めるなり、今のうちから努力を続けてみてください。きっと将来役に立つと思います。

氏名堀田 朗子(ほつた あきこ)
職業幼稚園 園長(在職19年)
勤務先学校法人藤本学園 河戸幼稚園

 私は、現在幼稚園教諭として仕事をしています。幼稚園の先生といえば、子どもと一緒にただ遊ぶ仕事と考える人もいるかもしれません。しかし、実際は、様々な、カリキュラムをたてた中で、担任のクラスの子ども達に一番あった活動を立案し、用意、指導し、そして子どもの精神的フォローまでを一人でしなくてはいけないのです。

 また、近年は、複雑な社会環境の中で、子ども達も様ノマな家庭問題を抱えています。社会のひずみといったものが、一番弱者である子ども達に影響しているのです。そういったスドレスから少しでも解放できるように精神的にケアーしていくのが、重要な仕事の一部となってきています。保護者の方と連絡を取ったり、専門的な研修を常に受け勉強したりしているのが現状です。その他にも、子ども達に興味のある活動を設定するために、教育的専門知識だけでなく様々な分野の知識も必要です。自園では、絵画、英会話、茶道、ポジフィツト、マーチング、日本太鼓などを活動に取り入れています。そのどれも指導をするために常に勉強は欠かせません。

 しかし、子ども達との活動は、本当に楽しく、純粋な子ども達の反応は、感動の連続です。この職業についてよかったと日々感じています。

 私の高校時代ですが、比較的自由な校風の中、クラブ活動に没頭していました。始発のバスに乗って早朝練習し下校後も自主練習して、寝ているか練習しているかといった毎日でした。そのため、勉強には熱が入らす成績も悲惨なもので、特に英語は、成績の悪かった友達が安心するために私に点を聞きに来るほど苦手でした。しかし、入部当初は、初心者が多く、県大会出場もできなかったクラブが、最終的に県内3位になるまでになったのが、とても良い思い出となり又、やればできるという自信になったと思います。その時一緒に活動した友達とは、今も連絡を取り合いお互いに励ましあっています。

  ただ、あまりに勉強をおろそかにしたため進学先も限られた範囲の中でしか選択できませんでした。結果、もう少し勉強したいと後悔するようになり、短大卒業後、アメリカに留学を決意しました。留学中は、ネイティブの学生に混じっての勉強についていくことに必死で、受験以上に毎日勉強しました。また、アメリカでも保育を専攻したことで、たくさんの知識や経験ができ、今の仕事にとても役に立っています。

 帰国後に、すぐに今の職業についたわけでは、ありません。旅行会社勤務後、結婚して専業主婦も経験しました。また幼稚園勤務後は事務職も7年あまり経験しました。それは、就職後すぐに「先生」と呼ばれ、ある意味天狗になりがちな教師とは異なる経歴なので、保護者の方の気持ちが理解できとても役に立っていると思います。自分の立場からだけでなく相手の立場からも物事を考えられことは、社会人にとってとても必要なことだと思います。知識だけでなく人とのコミュニケーションが、大切だと思います。知識も仕事に不可欠な要素だとおもいますが、職場の仲間との連携なくして仕事はなりたたないのです。みなさんも受験勉強で、忙しいとは、思いますが、是非たくさんの人と関わりたくさんの経験をつんで社会人になってください。

氏名河野 博一(こうの ひろいち)
職業小学校 校長 (在職30年)
勤務先広島市立ハ幡東小学校

 小学校の教師になって30年がたちました。小学校の教師という仕事はとてもやりがいのある仕事だと思います。この仕事がつらいとかやめたいと思ったことは一度もありません。特に学級担任時代はそうでした。何といっても、子どもたちの「笑顔」が一番のやりがいであり、自分自身のエネルギーになっています。解けなかった問題ができたとき、とべなかったとび箱がとべたとき、できなかった逆上がりができるようになったとき、「先生、分かった!」「先生、できたよ!」「先生、ありがとう!」と顔をかがやかせて報告に来る子どもたちの笑顔。そんなとき、「ああ、この仕事を選んで本当に良かった。」と思うのです。

 私の高校時代は部活動がすべてでした。サッカークラブに所属し、毎日練習に明け暮れました。当時、部員は50人くらいいましたから、レギュラーになることは大変なことでした。

 私は、試合に出るよりもベンチを温めている時間の方が長かったのですが、仲間と苦楽をとちにした経験は今でも大事な思い出になっています。

 また、「小学校の先生になりたい」という夢に向かって、進路決定の時期に当時の担任の先生か親身になってアドバイスしてくださり今でも感謝をしています。

 大学で教員免許を取得し、採用試験に合格し、あこがれの小学校の教師になることができました。しかし、ベテランの先生方との教育技術の力量の圧倒的な差にショックを受けました。「学ばねば良い先生にはなれない」「学び続けるものだけが教壇に立てる」という自分なりの哲学が確立したのもその頃でした。教師の仕事の大部分は「授業」です。「楽しくわかる授業」の開発が、若い頃からの一貫したテーマでした。そのために、多くの本を読み、多くの研究会に参加し、サークルで同じ志を持つ友と切磋琢磨しました。

 毎年、卒業させた子どもたちがクラス会を開いてくれます。卒業の時に、「20歳になったら会おうな。」と言った言葉をどの子も覚えているようです。「小学校時代の楽しかった思い出」を一人一人が語ってくれます。子どもだちとの生活はせいぜい1年か2年です。でも、心を込めて一生懸命に子どもだちと生きる中で、何十年もつきあっていくことになるのです。

 その責任の重さを感じつつ、これからも誠実に子どもだちと関わっていきたいと思っています。

氏名藤原 弘知(ふじわら ひろとも)
職業中学校 音楽 教諭 (在職1年)
勤務先広島市立安佐中学校

 みなさん中学校の先生という仕事は、どのようなものか知つていますか?

 自分の専門教科の授業をするのはもちろんですが、学級担任や副担任であれば学級運営を行つたりします。また、部活動の顧問をしたりもします。

 ですが、実はそれ以外の仕事も沢山あります。ひとつは校務分掌と呼ばれるものです。

これは学校を運営していく上でとても重要な仕事です。授業の事、テストの事、学校行事のなど、皆さんが学校生活を円満に過ごす為の物です。また、校務分掌に関してはそれぞれの部署があり、教務課、生徒指導課、生徒会などがあります。
 他には市中研というのを知っていますか?そこではそれぞれの研究分野に分かれて情報交換や、分野ごとでの研修を行ったりすることも、中学校の先生の仕事であり、研修です。

 さて、私の高校時代はと言いますと、当時の安古市高校は何事も自主的に行う事があたり前であり、学習面においては各個人での差が大きくありました。私は、部活動をやりたくて安古市高校に入学したので、朝から晩まで部活を続ける日々でした。

部活中心、音楽大学への進学を考えていたので、学習ではどんどんと差が開いていき、3年間でとても苦労したことを覚えています。 

 大学生になり、専門分野の研究(レッスン)にいそしみ、私生活共に充実した学生生活を送っていましたが、3年生になる時に就職の事も視野に入れ、教職課程を専攻しました。実際は演奏家になるか、教員になるかと卒業するまで悩み、社会人1年目に入ってからも悩んでいま当時は景気が悪く、就職率も悪い時代であり、一般職はもちろん、教員の採用枠自体も少ないような時代だったと思います。

 教員になってからは、コミュニケーションをとる事が難しいと感じていました。周囲と協力が出来なければ、組織として活動も出来ませんし、自分が苦しい時に助けてもらう事も出来ません。この部分はとても重要な事だと思いましたし、今でも大切にしている事です。

 最後に、私自身は色々な人のつながりを通して、成長をしてきました。今教員をしていることも恩師に出会ってからこそですし、仕事のやり方を学べるのも、良き出会いがあったからです。皆さんも仲間や、これからの出会いを大切にして下さい。必ず自分の力になってくれます。

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