令和元年度 進路講演会

進路講演会

令和元年10月23日、6・7限の午後2時25分から午後4時15分で、本校卒業生による進路講演会が開催されました。

趣旨

キャリア教育の一環として,第1・2学年生徒全員が,安古市高等学校の卒業生や保護者,学校関係者等の社会の第一線で活躍する人生の先輩方から,高校・大学生時代の生活や仕事,また社会人にとって必要な資質等についての講演を聴くことで,適切な職業観の涵養を図り,将来を見すえた進路設計の構築に資する。

氏名道田 泰之
職業起業家(現在2つの会社の社長です。25歳で起業し,今年で20年目に突入)
勤務先株式会社ドリームデッサン
運営サイト:販促エキスポドットコム
株式会社ハッピーファクトリー 代表取締役
株式会社ドリームデッサン

タイトル:「現役社長が語る!社長の仕事ってどんなの?」

○「社長」の仕事と普段の生活について本音トーク。

★社長って大変か?どうやって社長になるの??などなど
社長の仕事やこれまでの経緯などお話します。
→社長って,自分のお給料を自分で決められるって本当ですか?
→社長って,重役出勤とかでお昼ごろ会社にいっても怒られないの?
  →高校生でも社長になれますか?  などなど

★実際の社長の普段の生活など,本音で話す社長の普段の生活。社長になって良かっ たこと。大変なことなどを,お話させていただきます。

★社長のお財布の中身について, 社長のお給料って月にいくらですか???
月々のおこずかいはいくら??
話が盛り上がれば,教えちゃうかも!しれません(笑)

その他,みなさんが社長に聞いてみたい素朴な疑問・質問にも何でもお答えします。
    事前に考えて教えていただいていてもOKです(笑)

○私の高校時代・大学時代の生活について、頑張ったこと等
・社長が思う、高校・大学時代にやっていて良かったこと。

○これから社会にでる皆さんに
・社長が教える!今の時代を生き抜いていく為に必要なこと

○現役社長が教える自分が本当にやりたい仕事の見つけ方。

自己紹介

 みなさんこんにちは。株式会社ドリームデッサン代表取締役 兼 株式会社ハッピーファクトリー代表取締役の道田泰之と申します。今年も、自分が卒業した母校で、みなさんにお話をさせていただける機会をいただき、大変嬉しく思っています。

 今回も私の講演は、起業家(社長)という職業について、仕事の内容や、普段の生活などをご紹介すると共に、「社長」という仕事について、みなさんの疑問や質問にお答えしながら進めていければと思っています。あまり、かたぐるしい話は得意ではありませんので、気楽にふらっと聞いていただければ思っています。

 私自身も、自分が高校生の時に社長になろうと思っていたわけではないので、なかなか今の時点で、社長になりたい方も少ないかもしれませんが、変化の激しいこの現代社会を生き抜いていく上で、また、進路を選択する上で、大切なことや、今の時期から身につけておいたら良いと思うことなどを、含めて本音トークで、みなさんにお伝えできればと思っています。

 皆さんが聞いてみたい疑問には、なんでもお答えしていければと思ってますので、何でも質問していただければと思います。

 私は、大学卒業後、社会にでて、1年だけ税理士事務所に勤めた後、すぐに会社を辞めて起業しました。年は25歳になったばかりのころで、まだまだ転職は、今の時代のように一般的ではなかった時代でした。当然、当時の上司も、親も大反対。。。周りの人は誰一人も賛成しないという環境の中での起業でした。もっとも、もともと親の言うことなど、素直に聞くようなタイプではありませんでしたが・・・自分でも無鉄砲なことをしたものだと、今になって思いますが、その時はなんとかなるような気がしていました。時の過ぎるのは早いもので、あの日から、今年で20年ぐらいが過ぎようとしています。

 起業家というのは、自分で事業を見つけて仕事にしますし、途中で事業を変えたりしますので,職業という観点からいけば少し特殊なタイプに属してしまうのかもしれません。ただ、私自身、起業家としてここまで生きてきて感じること、学んだことがたくさんありました。

 私も、みなさんと同じ安古市高校にて高校生活3年間を過ごしましたが、当時、受験勉強や大学 への進学にうまく意味を見いだせなかった私は、勉強にもあまり身が入らず、高校の中で完全に落ちこぼれ状態でした。クラブ活動やバンド活動など楽しいことたくさんありましたが、自分としては、うまく高校生活になじめていなかったように感じていて、日々、悩みを抱えていたように思います。一年浪人して、なんとなく大学に入学し卒業した後、社会に出て、会社を設立し、多くの方と出会ったり、していくなかで、勉強以外にも社会にでて非常に役に立つ能力や知識がたくさんあることに気が付きました。

 あくまで、経験とともに気が付いてきたことなので、すべてみなさんにお伝えできるかどうかわかりませんが、高校時代の私と同じような悩みを抱えているみなさんや、これから同じような状況に遭遇してしまった場合の対処方法として、少しでもヒントになればと思い、お話させていただければと思います。当日、皆様とお会いできるのを楽しみにしています。よろしくお願い致します。

氏名秦 誠―郎(はた せいいちろう)
職業弁護士(12年)
勤務先国政法律事務所

 裁判官,検察官,弁護士は,法曹(「ほうそう」と読みます。)三者と呼ばれ,三権分立の司法に関与する法律の専門家です(検察官は,犯罪を捜査し,処罰を求める公務員です。警察官も犯罪を捜査しますが,警察官ではありません。)。法曹三者のうち,裁判官と検察官は公務員ですが,弁護士は民間人です。

 弁護士は,基本的人権をまもり,社会正義を実現することが使命とされています(弁護士法1条)。弁護士の主な仕事は,民事(お金を払って欲しいなどの争い),家事(離婚などの争い),刑事(犯罪の有無や刑罰に関する争い)などの交渉や裁判ですが,その他にも,高齢者の後見人になって,生活の手助けをしたり,会社や学校の役員になって,業務を監督したり,県や市の委員になって,県政や市政に関与するなど,活躍の場は広いです。また,税理士や弁理士などの業務を,主な仕事としている弁護士もいます。

 法曹は,人の人生に大きな影響を与える仕事ですから,高い倫理観・道徳観が求められます。虚偽の事実の主張や,証拠の偽造など,真実をねじ曲げるようなことは,絶対にあってはなりません。

 弁護士は,相手の勘違いを見破って,事件を妥当な解決に導くことができたり,事件解決後に,依頼者から笑顔でお礼を言われたりしたときに,やり甲斐を感じます。その反面,妥当と思う解決にならなかった場合には,くやしい思いをすることもあります。また,弁護士は,原則として自営業者ですから,時間の使い方や仕事の進め方を,自分の責任の範囲で自由に決めることができます。

 ただし,現在,司法制度改革が進んでいますので,将来について不透明な点があり,不安に思っている弁護士は多いです。

 私は,学生時代は物理学を専攻し,物理学者を志していました。しかし,大学院(修士課程)を卒業したときに,大学への就職が非常に厳しいこと,人間相手の仕事をしたくなったことなどの理由で,弁護士になることを決意し,学習塾の講師などをしながら,法律を勉強して,弁護士になりました(当時は,大学等で法律を勉強していなくても,国家試験に受かれば,法曹になることができました。)。

 裁判官,検察官,弁護士は,原則として,大学卒業後,2年又は3年間,法科大学院で法律を勉強し,司法試験という国家試験に合格後,司法修習という1年間の実務研修を経て,それぞれの仕事に就くことになります。ただし,その仕事も絶対的に固定されたものではなく,裁判官や検察官を退職して,弁護士になる人は多いですし,弁護士が希望を出して,裁判官などの公務員に採用されることもよくあります。

 なお,よくある誤解ですが,弁護士(法曹)になるために必要なことは,法律の考え方を身に付け,法律を道具として使うことができる能力ですので,六法全書(法律の条文集)を暗記しているわけではありません(もちろん,よく使う条文は,自然に覚えています)。

氏名三上 かおり(みかみ かおり)
職業コミュニケーションコンサルタント
勤務先虹の森

経歴

  • 広島大学在学中にルドルフ・シュタイナー教育に出会い、学ぶ。
  • 広島市立中学校教諭(担当教科 数学)15年。
  • 結婚後3児の母となり、子育ての中で米国の臨床心理学者トマス・ゴードン博士のコミュニケーション・プログラム(親業)を知り、数々の講座を受講し、子育てや教師としての実践に生かす。
  • 教諭を辞職して米国カリフォルニアに子連れ留学、ルドルフ・シュタイナー・カレッジにて学生生活4年。
  • 帰国後、コミュニケーション・コンサルタント(親祭訓練インストラクター、教師学インストラクター)として16年目。

仕事の内容

親、教師、学生、職場、一般の方々対象に、より良い人間関係を築いていく効果的なコミュニケーション・スキルを身につけていくための講座、講演会、研修会の講師。

講演の内容

 私たちは、人とかかわって生きています。学校や、家庭などでの様々な人間関係の中で、私たちは幸せも感じるし、悩みも持ちます。「良い」人間関係の中では、心地よさを味わうでしょうし、意欲も湧くでしょう。逆に居心地の悪い人間関係の中では、ストレスも溜まり、自分の力を発揮することも難しくなるのではないでしょうか?

 充実した人生のために、「良き人間関係」はとても重要です。では、それはどうやったら手に入るのでしょうか。お金で買えるでしょうか?人から借りることができるでしょうか?答えは「NO」です。「良き人間関係」を手に入れるには、自分自身の「人間関係力UP」が不可欠です。良き人間関係を作り上げていく方法を学び、実践力を磨いていくこと、それが「良き人間関係」を自分の周りに作っていくことにつながります。

 皆さんが、今後の人生をより充実したものにしていかれるよう願いを込めて、良き人間関係を築くコミュニケーションについて、講義や演習、体験談を提供致します。

氏名村上 寛子(むらかみ ひろこ)
職業臨床検査技師(在職30年・検査科)
勤務先広島共立病院 検査科

 病気の有無を判断するために,医師は患者の訴えを聞き診察をします。症状や身体所見だけでは病気の診断が難しい場合,より正確な診断が必要な場合,病状の把握に役立つ情報を得るため実施するのが「臨床検査」です。この検査を実施する人が臨床検査技師です。

 臨床検査は『検体検査』と『生理機能検査』の2種類に分けられます。『検体検査』は,血液・尿・便・脳脊髄液・喀痰など,患者から得られた『検体』と呼ばれる材料を用いて,それらに含まれる成分や細胞を測定・分析する検査です。『生理機能検査』は心電図や超音波検査のように,患者の身体から直接情報を得て解析する検査です。臨床検査技師の仕事は診断治療に直結するので正確で迅速に報告する事が重要です。そのためには,常に機器の精度を保ち,新しい検査法や臨床診断基準の情報を集め検討導入し,知識の向上も必要となります。

 高校時代の私は剣道部に所属していました。部活動中心の生活を送っていたので進学や将来の事はあまり深く考えず,毎日楽しければいい・・といった高校生活を送っていました。進路を真剣に決める時期が来てもまじめに考えていなかった記憶があり,進路指導の先生のアドバイスがなければ臨床検査技師になっていなかったかもしれません。

 臨床検査学科では授業と実習があります。化学実験,動物を使っての免疫実験,細菌培養,等…理科の実験が好きな人は興味津々と思います。最終学年になると自宅に近い実習病院に通います。実際の現場を体験することで,ますます検査技師への気持ちが高まります。最終学年の冬に国家試験を受け,3月の入職直前に発表となります。

 就職して最初にやりがいを感じた時は,患者さんに感謝の言葉を伝えられた時です。心電図検査で心筋梗塞波形に気づきすぐに医師に報告しました。そのおかげで,すばやい処置が施され患者さんは助かりました。その患者さんが元気になって私に会いに来てくれたとき「ありがとう。あんたが見つけてくれたから助かったわ。」と言われた時はとても嬉しかったです。血液データのパニック値(生命に危険が及ぶような異常値)を医師に報告し迅速な治療に貢献できた時,緊急輸血の対応がすばやくできた時,腹部エコー検査で腫瘍を見つけ手術で完治した報告を患者本人から聞いた時・・など,色々な場面でやりがいを実感します。色々な検査を通して救命救急にかかわれる事ができる職種が臨床検査技師です。

氏名弓削 恵子(ゆげ けいこ)
職業薬剤師
勤務先関西メディカル病院

 私は,病院薬剤師として働いています。薬剤師は働いている場所(病院・調剤薬局・製薬会社など)によって仕事内容が違い,自分の適した職場を選ぶことが大事です。

 薬剤師の仕事というのは,窓口で患者さんに薬を渡して,何に効く薬か,どのように飲むのかを説明することだけだと思うかもしれませんが,実はそこに至るまではたくさんの過程があります。

 医師が,患者さんに必要な薬(飲み薬や注射など)を処方します。それに対し薬剤師は,使い方や量は正しいのか,その患者さんに対して適した薬なのか,薬が数種類ある場合には一緒に使用しても問題はないか等々たくさんのことを確認し,問題がある場合には医師に報告します。ここで内容が変わることは多々あり,薬剤師の必要性を感じる瞬間でもあります。

 そして,必ず複数の薬剤師でチェックをしながら薬を準備します。その後にようやく患者さんへ薬の説明を行い,副作用がないかどうか,きちんと薬の効果が現れているかどうか確認します。副作用の前兆を感じた時には,すぐに医師に報告し適切な処置をとります。患者さんの気持ちや要望などを汲み取って橋渡しをすることも大切な仕事のひとつです。

 大学を卒業し国家資格を取得後,病院薬剤師として働き始めて一番苦労したのは,薬の使い方がわからない!!ということです。

 例えば,高血圧の薬はかなり沢山の種類があり,効き方が少しずつ違ったり,それぞれに特徴があります。その中で,どういった場合にどの薬を選択するのか,実際に現場で経験的に学ぶしかありません。

 そのため,大学時代はもちろん勉強しましたが働き始めてからもかなり勉強を必要としました(むしろ,働き始めてからの方が勉強したかも・・?)。

 医薬品は絶えず新しい薬が開発されており,また既存の薬でも新しい使用方法ができたり,常に最新情報を集めておくことが大切です。

 高校時代,最初から薬剤師を目指していたわけではありませんでした。高校の先生には怒られそうですが,実はあやふやなイメージで薬剤師っていいかもなぁ・・と思って選んだ将来でした。病院薬剤師の仕事は大変なこともありますが,ミスを未然に防いで医師に感謝された時や患者さんの不安を解消できた時などやりがいを感じることが多く,また専門的な知識が身についていくのでずっと続けていきたいと思える仕事です。

氏名宮中 裕子(みやなか ゆうこ)
職業フルーティスト・イタリア語通訳
勤務先ジャパンチェムバーフィルハーモニー

 私はクラシックのフルート奏者です。

 若い時イタリアに留学して、自分がどんどん開放され、人はみんな自由なんだと実感しました。7年後、帰国してからは、ヨーロッパと行き来しつつ、演奏活動をしています。

 今まで訪れた国々で、どんな仲間と知り合い、どう影響を受け現在に至ったか。またそれぞれの国の文化等もお話しして、みんなに何か感じてもらえればと思います。

ジャパンチェムバーフィルハーモニー HP 

 ここにアクセスして頂けると、私がブカレストのオーケストラと演奏したベートーヴェンの作品がアップされています

氏名添田 誠(そえだ まこと)
職業地方公務員(警察官、在職17年)
勤務先広島県警察本部 刑事部 捜査 第二課

(1)勤務先の仕事について

 「警察官」と言った場合、皆さんはどのような人物を思い浮かべますか?交番のお巡りさんとか、犯罪捜査を行う刑事とか、白バイやパトカーに乗った警察官とか、人それそれではないでしょうか?

それもそのはずです。警察の仕事とは一言で言うと、「みなさんの安心と安全を守ること、非常に開口が広いものなのです。ですから、各警察官は様々な分野においてそれぞれの業務を行っており、必要となってくるスキルも様々です。

このような曖昧な説明では、警察の仕事がどのようなものか分からないかもしれませんので、当日は、一般的な話から少し専門的な話まで行うことで、みなさんに少しでも警察の仕事を理解し、興味をもってもらいたいと思います。なお、とあるテレビ番組のような「ぶっちゃけトーク」は致しません。

(2)学生時代について

 私は小学生ころから、なぜか時代劇や刑事ドラマが好きでした。そのため、警察官、特に刑事というものに憧れはありましたが、それは「悪者を退治するヒーロー」に憧れるようなものであり、そこまで本気で「将来の自分の職業にしよう」というまでの気持ちはありませんでした。従って、学生時代は、警察になるための勉強や柔剣道等はしていませんでした。

大学も、ただ「数学が苦手」という理由で文系学部を志望し、「文系学部の中だったら法学部が一番面白そう」という理由で法学部に進学しました。ただ、大学3年生になり、就職を考え始めた際に、一生続けていくにはどんな仕事がいいか考えてみました。

そのなかで、子供ころから憧れていた警察官という仕事内容についても調ぺてみたところ、非常にやりがいのある仕事だと感号、広島県警察官の採用試験を受験したのです。

(3)社会人として

 社会人の先輩としてみなさんに言いたいことは、「目標を持ち、それに向けて努力することです。

努力をしてもしなくても、一日はあっという間に過ぎていきます。 学生時代であれば、テスト等があるため、否が応でもそれに向けて努力したり、現在の自分の実力を見極めることができますが、社会に出るとそのような機会はありません。ですから、自分自身で目標を定め、それに向かって努力することが必要になってきます。

目標があれば日々の生活の中でも問題意識を持つことができますし、頑張る気持ちも湧いてくると思います。

氏名村上 慎一郎(むらかみ しんいちろう)
職業地方公務員(事務職)(在職31年)
勤務先広島市役所

 皆さん、広島市役所の職員がどんな仕事をしているか知っていますか?なぜ公務員に興味を持ちましたか?

 市役所の仕事といっても非常に幅広く、子育ての支援から高齢者の健康づくり、農林水産業や経済の振興、土砂災害への対応、道路や公園、学校など整備・維持管理、そして広島市のまちづくりの政策立案などなど非常に多種多様な仕事があります。そのため多くの担当部局があり、そこで色んな知識、技能、経験を持った職員が、使命感を持って様々な仕事をしています。敢えて広島市役所の仕事をひと言で説明すれば、赤ん坊からお年寄りまで119万人すべての市民の健康的で豊かな暮らしを支えること、だと思います。職員は平均3年~5年の人事異動によって職場も担当する仕事も変わります。私もこれまでに、色んな職場で色んな仕事をしてきましたが、一般的な市役所の職員とはちょっと変わった経験をしています。入庁7年目、29歳の時に東京の外務省に出向し、厳島神社と原爆ドームを世界遺産にするという仕事を担当したことと、アメリカの在ロサンゼルス日本国総領事館で外交官として働いたことは一生の思い出です。今思えば、何気なく英語の勉強を始めたことが人生の大きな転機となって、こうした機会を与えられたと思っています。市役所に入って趣味で始めた英語を継続した結果、英検1級と通訳案内士の資格を取得したことで、海外研修や海外出張、海外勤務など得難い経験をすることができました。

 皆さんの中には、「残業もなく定時で帰れる」、「安定している」、あるいは親から勧められた、という安直な動機で公務員に興味を持った人もいるでしょう。実は私も、公務員に対してそんなイメージしか持っていませんでした。高校時代、将来の夢も目標もなく、学生時代もアルバイトや旅行、マージャンなどに明け暮れていましたが、そのくせ給料の高い銀行などの民間企業に就職してバリバリ働きたいという甘い考えを持っていました。大学卒業前に、少しは勉強しなければ学費を払ってくれた親にも申し訳ないと思い、広島市役所の採用試験を目標に勉強して運よく合格しました。それでも民間企業と公務員とどちらにするか最後まで悩みましたが、結果的には、自分が育った広島のまちが好きで、このまちを良くすることに貢献したいという思いから広島市役所に就職することに決めました。これまでに色んな経験ができ、色んな人と出会い、仕事にもやりがいを感じていて、その決断が間違ってなかったと確信しています。

氏名堀田 朗子(ほつた あきこ)
職業幼稚園 園長(在職22年)
勤務先学校法人藤本学園 こども園

 私は,現在幼稚園教諭として仕事をしています。幼稚園の先生といえば,子どもと一緒にただ遊ぶ仕事と考える人もいるかもしれません。しかし,実際は,様々な,カリキュラムをたてた中で,担任のクラスの子ども達に一番あった活動を立案し,用意,指導し,そして子どもの精神的フォローまでを一人でしなくてはいけないのです。

 また,近年は,複雑な社会環境の中で,子ども達も様々な家庭問題を抱えています。

 社会のひずみといったものが,一番弱者である子ども達に影響しているのです。そういったストレスから少しでも解放できるように精神的にケアーしていくのが,重要な仕事の一部となってきています。保護者の方と連絡を取ったり,専門的な研修を常に受け勉強したりしているのが現状です。その他にも,子ども達に興味のある活動を設定するために,教育的専門知識だけでなく様々な分野の知識も必要です。自園では,絵画,英会話,茶道,ポジフィット,マーチング,日本太鼓などを活動に取り入れています。そのどれも指導をするために常に勉強は欠かせません。

 しかし,子ども達との活動は,本当に楽しく,純粋な子ども達の反応は,感動の連続です。この職業についてよかったと日々感じています。

 私の高校時代ですが,比較的自由な校風の中,クラブ活動に没頭していました。始発のバスに乗って早朝練習し下校後も自主練習して,寝ているか練習しているかといった毎日でした。そのため,勉強には熱が入らず成績も悲惨なもので,特に英語は,成績の悪かった友達が安心するために私に点を聞きに来るほど苦手でした。しかし,入部当初は,初心者が多く,県大会出場もできなかったクラブが,最終的に県内3位になるまでになったのが,とても良い思い出となり又,やればできるという自信になったと思います。その時一緒に活動した友達とは,今も連絡を取り合いお互いに励ましあっています。

 ただ,あまりに勉強をおろそかにしたため進学先も限られた範囲の中でしか選択できませんでした。結果,もう少し勉強したいと後悔するようになり,短大卒業後,アメリカに留学を決意しました。留学中は,ネイティブの学生に混じっての勉強についていくことに必死で,受験以上に毎日勉強しました。また,アメリカでも保育を専攻したことで,たくさんの知識や経験ができ,今の仕事にとても役に立っています。

 帰国後に,すぐに今の職業についたわけでは,ありません。旅行会社勤務後,結婚して専業主婦も経験しました。また幼稚園勤務後は事務職も7年あまり経験しました。それは,就職後すぐに「先生」と呼ばれ,ある意味天狗になりがちな教師とは異なる経歴なので,保護者の方の気持ちが理解できとても役に立っていると思います。自分の立場からだけでなく相手の立場からも物事を考えられことは,社会人にとってとても必要なことだと思います。知識だけでなく人とのコミュニケーションが,大切だと思います。知識も仕事に不可欠な要素だとおもいますが,職場の仲間との連携なくして仕事はなりたたないのです。みなさんも受験勉強で,忙しいとは,思いますが,是非たくさんの人と関わりたくさんの経験をつんで社会人になってください。

氏名河野 博一(こうの ひろいち)
職業小学校 校長 (在職32年)
勤務先広島市立亀山小学校

 「小学校の先生になる」と決めたのは,みなさんと同じ高校生の時でした。今振り返っても,小学校の教師という仕事はとてもやりがいのある仕事だと思っています。この仕事がつらいとかやめたいと思ったことは一度もありません。特に学級担任のときはそうでした。何といっても,子どもたちの「笑顔」が一番のやりがいであり,自分自身のエネルギーになっています。解けなかった問題ができたとき,跳べなかった跳び箱が跳べたとき,できなかった逆上がりができるようになったとき,「先生,分かった!」「先生,できた!」と顔をかがやかせ,全身で喜びを表現する子どもたち。そんなとき,「ああ,この仕事を選んで本当に良かった。」と思うのです。

 私の高校時代は部活動がすべてでした。サッカークラブに所属し,毎日練習に明け暮れました。当時,部員は50人くらいいましたから,レギュラーになることは大変なことでした。私は,試合に出るよりもベンチを温めている時間の方が長かったのですが,仲間と苦楽をともにした経験は今でも大事な思い出になっています。また,「小学校の先生になりたい」という夢に向かって,進路決定の時期に当時の担任の先生が親身になってアドバイスしてくださったことに今でも感謝をしています。

 大学で教員免許を取得し,採用試験に合格し,あこがれの小学校の教師になることができました。しかし,ベテランの先生方との教育技術の力量の圧倒的な差にショックを受けました。「学ばねば良い先生にはなれない」と思い,必死になって勉強をしました。教師の仕事の大部分は「授業」です。「楽しくわかる授業」の追究こそが,修業の中心でした。そのために,多くの本を読み,多くの研究会に参加し,サークルで同じ志を持つ友と切磋琢磨しました。

 今年度,教師生活をスタートした学校に戻りました。多くの卒業生から「お帰り!先生!」というメッセージをもらいました。みんな大人になり,立派な社会人になっています。先日,当時やんちゃだった青年とお酒を飲みました。「先生から教えてもらったことが,今の俺を支えている。」と語ってくれました。子どもたちとの生活はせいぜい1年か2年です。でも,心を込めて一生懸命に子どもたちと生きる中で,彼らの人生に何らかの影響を与えるのだとしたら,何と責任のある仕事なのでしょうか。その責任の重さを感じつつ,これからも誠実に子どもたちと関わっていきたいと思っています。

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